« 2006年03月 | メイン | 2006年05月 »
2006年04月30日
かもめ食堂
先々週の日曜に新宿まで観に行ったのだけど、そのときは満席で入れなかった。昨日から吉祥寺でも公開となり、ようやく観ることが出来た。期待以上の映画で非常に満足。今年のベストワンは決定だな。
脚本、演出、美術や音楽に至るまですべてが良かったが、中でも特に小林聡美が素晴らしい。彼女は昔から大好きな女優で、名前の通り聡明そうだし、立ち居振る舞いが非常に美しい。この映画でも彼女の良さが遺憾なく発揮されていた。こんなにきれいに菜箸を操ることの出来る女性は本当に少なくなったなあと思ってしまう。
この映画は特に大きなドラマも無いし、登場人物やエピソードにも詳しい説明をしていない。しかし、そこがまた映画の奥行きを作っている。みんなそれぞれいろんな事情を抱えているのだ。そんなのは当たり前のことなので、説明しなくたっていいんだ。食べること、暮らすこと、そのひとつひとつをどれだけ大事にすることが出来るのかが伝わればいいのだ。小津の映画だってそうじゃないか。
見終わったらとてもとてもおなかがすいてしまった。ああ、いい映画を観るのは気分がいいなあ。
投稿者 ef : 21:37 | コメント (2) | トラックバック
2006年04月24日
「ウェブ進化論」の違和感
梅田望夫の「ウェブ進化論」を読んだ。ここに書いてあることはまあその通りで別にいいんだけど、どうも読後感が良くない本だと感じる。それはなぜなのか、ちょっと考えてみた。
ひとつは、彼があまりにも単純に「あちら側とこちら側」「バーチャルとリアル」といった二元論を持ち出すところだ。Webを初めとする産業のインフラが新しい時代に入ったということを言いたいんだろうけど、やはりこの辺がマーケティング屋さんの嫌らしさというか、時代の動きを簡単に説明しようとしすぎて鼻につく。物事はそんなに単純なものじゃないし、Webひとつとっても、彼らの言う「Web1.0」と「2.0」は対立軸にあるようなものではない。だいたいオライリーの「Web2.0」なんて言葉にしたところで、マーケティング的な概念でしかなく、実際のテクノロジーやそれの利用者たちとは何の関係もない話だ(それはオライリーが何屋さんかを見たってわかるだろう)。
こういった違和感は何十年か前の「アナログとデジタル」みたいな話が流行ったときにそっくりだ。ビジネス的に見れば「デジタル」の利点をちゃんと認識して積極的に取り入れるべきだろうが、「アナログ」を軽視したり対立視したところで、それに何の意味もないことは今となっては明白だろう。
ビジネスで大切なことは沢山あるけど、その中の一つに「合理化」がある。もちろんそれがビジネスのすべてはない。で、その合理化の方法論の一つに「デジタルの利用」ってのがあるなら、それをきちんと取り入れていかないと競争力が無くなる可能性があるということ。これは当たり前の話だけど、「デジタル」にしたからパラダイムシフトが起きてビジネスが変わるなんていう単純なものではないのだ。「デジタル」なんて分解能を上げていけば「アナログ」と本質的な違いなど何もなくなってしまう。Web2.0も同じ。実態のないマーケティング的な言葉に振り回されるのはみっともないと思うよ。
俺の考えからすると、そもそもインターネットに「Web2.0」なんてものは存在しない。blogやSNSなどのような、今までの単純な(スタティックな)HTMLから、データベースを利用したダイナミックなHTMLベースへの変化はまったくの正常進化で、もともとWebってのはこの方向(個人レベルの情報発信と共有)を目指していたものなのだ。だから、現状は2.0でも次世代でもなく、「これがWebだよ」ってことのひとつでしかない。「インタラクティブ」なんて言葉がもてはやされたのは何年前のことだったろうか。ようやくインフラが進んでちょっとだけそれに近づいたってだけの話。
小林弘人氏に教えてもらって、1992年頃に初めてインターネットに触れたとき、「これは世の中を変えるね」って話をした。そのときは背筋が凍るくらいの衝撃を受けた。あれから14年も経ったけど、実際にはインターネットの潜在力はまだまだその片鱗を見せていないと感じている。こんなレベルで2.0だの次世代だのなんて情けないぞ。そういやオラクルがネットワークコンピュータを提唱したのも10年くらい前だったか。
それと、もうひとつ本書で気になるのは臆面のないgoogleの持ち上げ方だ。たしかにgoogleは面白い会社だし、独自の方法論で運営されているところも興味深い。しかし、googleは果たして覇者になれるのだろうか。本書ではgoogleが「砂の中から玉を見つけ出す」テクノロジーをもっていると説明しているが、俺はこれには疑問を感じる。このメタファーに合わせて説明するならば、googleが出来るのは「砂の中から石を見つけ出す」所までだ。だいたい彼の言う「玉」って何のことだよ?
梅田氏の説明は、ライブドアの堀江が「みんながネットにニュースを書き込めば、旧来のジャーナリズムは必要なくなる」と言ったのと同じものだ。多くの人がアクセスする情報こそが「玉」であるという認識は、あまりにもマーケティング的で社会的に未熟でしかない。もちろんgoogleのアルゴリズムは単純な「数こそ正義」というレベルのものではない。しかし、それ以上・それ以外の「これこそがあなたにとっての“玉”である」という定義を提示することはまったく出来ていないのが現実だ。
俺の考えでは、本当の「玉」はgoogleのAPIに引っかからないところにもちゃんと存在している。というか、そんなこと実社会で生きていりゃ自明のことだ。Yahoo!が個人の目を通したディレクトリ化にこだわっているのも同じ理由だろう。googleは面白いサービスを提供している会社だけど、まだまだその実力を発揮できているとは言えない。googleのやっていることと、株価や時価総額などを見比べると、俺は実力より世間の期待値の方が上回っている印象を受ける。それはgoogleという会社の閉鎖的なスタイルにも理由があるのだろう。
インターネットが解放され、個人による情報の発信が増えるのは、単純明快にいいことだ。そして逆説的なのだが、情報を発信する人が増えれば増えるほど、人々は情報の発信の難しさに気がつくだろう。本書でいちばん疑問に感じたところだが、みんながみんな発言者や発信者の側に回ることが出来るというのは、実はプロとアマの境が無くなることを指しているのではない。逆に多くの人が「圧倒的なプロの技術に気がつく」ことになるのである。
例えば写真を例にしてみよう。現在のデジカメや使い切りカメラはものすごく進化していて、ピントはもちろん、絞りやシャッタースピードまで瞬時に自動調整してくれる。要するに「誰でもきれいな写真を撮ることができるようになった」わけだ。それじゃ、写真が簡単に撮れるようになって、プロレベルの写真を撮れるアマチュアが爆発的に増えたかというと、これは俺の実感でしかないけど、あまり変わっていないんじゃないだろうか。
技術が進み、誰でもきれいな写真が撮れるようになればなるほど、アマチュアの撮る写真とプロの撮る写真の差は歴然としてくる。結局のところ、情報の発信というのはそういうものだ。
本書のテーマは「脱エスタブリッシュメント」らしいけど、残念ながらそれはあまり成功しているとは思えない。基本的に悪いことを書いてある訳じゃないんだけど、やはり市井の人とは素性も立ち位置も違うんだなあという印象が最後まで続いたのは残念な点だ。
それと、梅田氏が参画した「はてな」にも触れておこう。「はてな」は面白いことを沢山やっている有望な会社だと思うが、インターフェイス周りのデザインが垢抜けないのが何とももったいない。彼らの方向性ややっていることは真っ当だと思うし応援しているけど、彼らの持っているドキドキわくわくするような技術やテクノロジーを、デザインがまったく表現し切れていないのだ。はてなは「デザイン」のもつ力をもういちどちゃんと認識した方がいいと思う。それが出来たら大化けするかも。
追記:このエントリーはコメントSPAMが多いんで、一時的にコメント欄を閉じます。コメントしたい人はメールをください。
2006年04月23日
Boot Campよりも仮想化
Intel MacでWindows XPを起動させるためのファームウェア「Boot Camp」が公開された。しかし、Appleがこの後Windowsとどう付き合っていくのかはまだわからないけれど、まあマルチブートなんていう時代遅れの手法じゃあどうしようもないだろう。10年くらい昔のMacintoshにはIntel CPUを搭載した拡張ボードがあって、そこからDOSやWindowsを起動することができたんだけど、基本的にはそこから何も進化はないなあ。
だいたいちょっと考えればわかるだろうけど、MacユーザーがちょっとWindowsを使いたいって時に、いちいち今起動しているアプリのデータを保存して悠長に再起動なんかする奴はいないだろ。「Windowsが起動するMac」というだけじゃ外見以外の魅力はまったくないし、使う側にも特にメリットはない。マルチブートなんか過去のもので、やはり今の時代は仮想化じゃなければ。
幸いなことにParallelsがやっているVMの方は順調なようだ。サイトのスクリーンショットではすでにOS X上でXPだけじゃなくSUSEやSolarisまで動いている。まだベータだけどバージョンアップも頻繁に出ているし、値段が安いのもいい。それにMSの方にしたって、せっかく買収したVirtual PCをこのまま捨てるとは思えない。となると、使いたいときにウィンドウ単位でぽんぽんとネイティブ速度のOSを切り替えて使える環境がもうすぐそこに来ているってわけだ。
普段の仕事ではiBookを持ち歩くことが多いのだけれど、やはりネットワーク用のツールやフリーソフトはWindowsを使いたい。サーバの管理ツールが素晴らしいSUSEも魅力的だ。これをみんなiBookで使えるとなると、環境としては最強となるだろう。AppleがLeopardでParallels WSを搭載するくらいのことをやってくれれば、株価倍増ってこともあり得ると思うんだけどなあ。
投稿者 ef : 11:08 | コメント (0) | トラックバック
2006年04月22日
マイクロソフト本社のMac研究室
ダグラス・クープランドの小説に「マイクロサーフス」という名作がある。マイクロソフト本社のMacBU(Mac用ビジネスソフト開発ユニット)で働いていたギーク(オタク)たちが、尊敬するビル・ゲイツに反旗を翻して独立するというストーリーの青春群像劇だ。
ビル・ゲイツがものすごくMacを好きなのは有名な話だし、その気持ちはよく理解できるけれど、マイクロソフトの中でもMacBUの扱いはちょっと別格な感じがする。そして、ついに先日、そのMacBUの一部が詳しく公開された。マイクロソフトのSoftware Design EngineerであるDavid Weissが、自分のblogでMacLabのバーチャルツアーを行ったのだ。
すごいすごい。マイクロソフトの連中がいかにMacを愛しているかがよくわかる。これだけのLabがあるんだったら、MSは当分Mac用のソフト開発から手を引くことはないだろうなあ。
中でも圧巻なのはずらりと並んだMac miniの棚(関係ないけど、起動しているOS Xは日本語版のように見える…)。その数なんと150台以上! しかもみんな縦(横?)置きなのだ。Mac miniは縦(横?)置きにしても大丈夫だという話を聞いたことはあったけど、実際にこうやって稼働しているのを見ると、今更ながらこのマシンの可能性に驚かされる。これでFW800かSATAのポートがひとつ外に出ていれば簡易サーバとしても完璧なんだけどなあ。内蔵SATAからポートだけ取り出せるかな? やってみたい。
もうひとつ、このMacLabでうらやましいと思ったのは、社内ではドリンクが飲み放題ってところ。一見どうでもよさそうな部分だが、実はこういったインフラによって社員たちのモチベーションや集中力が保証されているのだと思う。昔サン・マイクロシステムズの本社に行ったときも思ったけど、社員が気持ちよく仕事できるようなインフラを徹底して作るということでは、日本の企業はどこへ行ってもまだまだだね…。
投稿者 ef : 00:38 | コメント (0) | トラックバック
2006年04月21日
CL準決勝バルセロナ vs ACミラン
準決勝第一レグ、サンシーロでの試合は1対0でバルサの勝利。アウェイ・ゴールだから大きいことは大きいけど、まだ1点じゃ、次のカンプノウ次第でどうなるかはわからない。それにしてもロナウジーニョのプレーってのは一体どうなってるんだ? とても人間技とは思えないくらい素晴らしすぎる。この試合ではジュリの抜け出しとボレーも凄かったけど、ロナウジーニョのパスは神業だよ。間違いなく現在世界一、いや宇宙一のファンタジスタだ。長い間サッカーを見続けているけど、俺が見てきた中ではダントツのプレーヤーだと思う。
それに、バルサというチームがまたいいんだなあ。「卓越した個人技は徹底した組織プレーの中でこそ活きる」ってことをきちんと実践している数少ないチームだ。選手たちのオフ・ザ・ボールの動きがこんなに有機的なチームはなかなかないだろう。全員のテクニックスキルが高いのは当然だけど、先の先を読んだポジションへの献身的なランニングと、一つ一つのプレーをシンプルにこなしているからこそ個人技が活きてくるのだ。次のサンシーロでミランと引き分け以上なら、決勝はアーセナルとになるのかな。今からわくわくするなあ。
投稿者 ef : 00:05 | コメント (0) | トラックバック
2006年04月20日
浦沢直樹×宇多田ヒカルの対談
Invitation 2006年 5月号Amazonへのリンク
ぴあが出している「Invitation」という月刊誌に浦沢直樹と宇多田ヒカルの対談が掲載されているので、買ってきて読んでみた。実はこの対談の司会と構成を、友人の山下卓がやっているのだ。
先日、卓ちゃんと会ったときにこの対談のいきさつや裏話などをいろいろと聞いていたから、ひそかに楽しみにしていたんだけど、なるほど読み応えがあっていい対談だった。ありがちな予定調和や腹の探り合いがなく、さすがにトップクラスのクリエイター同士が出会うとこんな会話になるんだなあと言うのがよく伝わってくる。あがった原稿もその場の緊張感がよく伝わってきていい出来だったんじゃないかな。
去年の夏に、卓ちゃんを通して一度だけ宇多田ヒカルさんに会ったことがある。彼が講師をやってた美大の授業に、彼女がボランティアで参加してくれたのだ。俺もその授業を手伝っていて、授業の後、1時間くらい話をする機会があったのだが、実際の彼女は、普通の女の子でありながらどこかに強い意志を感じさせる魅力的な人だった。言葉を選びながら話をする姿が印象的だったのを覚えている。
浦沢直樹に関してはこのブログにも何度か書いたことがあるけど、「Monster」以降の作品がどれも圧倒的に素晴らしい。前に卓ちゃんとアニメ監督の森本晃司さんがウチに遊びにきたとき、ふたりとも「え〜?浦沢直樹はどうも…」って感じだった(アニメ版の「Monster」が気に入らなかったらしい)のだが、今回の対談後に聞いたら、「やはり本人に会って話を聞いたら考えが変わった。浦沢直樹すごいや」って言ってた。どこがどうすごいのかも聞かせてくれたけど、それは秘密。まあ、「Monster」を最後までちゃんと読めば彼の凄さはわかるよね。
そんなわけで今回の対談はなかなかの収穫だった。こういうタイプのクリエイターがきちんとしたポピュラリティを確保しているのを見ると、日本もなかなか捨てたもんじゃないなあと思う。それと、今回初めて読んだけど、「Invitation」て雑誌は丁寧に作ってあって好感をもった。こういう雑誌はもう少し売れてもいい気がするなあ。
投稿者 ef : 23:09 | コメント (0) | トラックバック
2006年04月06日
「9条どうでしょう」が面白い!
久しぶりにメチャクチャ面白い本を読んだ。毎日新聞社から出た「9条どうでしょう」という、内田樹・小田嶋隆・町山智浩・平山克美という濃いめのメンバーが書いた憲法9条論だ。もともと小田嶋隆というコラムニストがすごく好きだったのだけど、まさかこんなスゲー本を出してくるとは思わなかった。
巷間を賑わせている改憲派や護憲派の論争には、いつも気味の悪い違和感がつきまとっていた。簡単に言ってしまうと、下品な扇動と小賢しい専門用語の羅列によって、あまりにも低レベルで硬直した論争になっていると感じるのだ。しかし、この本はまったく違う視点から日本の憲法を読み取り、俺たちがこの問題をどう考えればいいのか示唆している。
ここに執筆をしている4人の文章が信用できるのは、彼らが自分の考えに対しても常に疑問を投げ掛け、短絡的な結論にもちこんだりしないという真摯な態度をとっているからだ。「俺はこう思う。でも、それって正しいのか?」といった具合に、自分のアタマの中で反論に次ぐ反論が繰り返される。小田嶋隆の得意な「脳内対談」というヤツだが、こういう方法論で絞り出されてきた知恵は、単純に「自分は頭脳明晰で考えが正しい」などと思い込んでいるバカな評論家連中には真似のできないことだ。
評論家や政治家などの論説には出てこない、皮膚感覚で理解できるロジックと生活感覚によって研ぎ澄まされたコトバがこの本にはある。明快でわかりやすく、ユーモアや批評性にも富んでいて感動的でさえあるのだ。これこそがホンモノの知性ってやつで、人間の「知恵」とはいったいどういうモノなのかを教えてくれる。いやー本当に素晴らしい。久しぶりに「やられた〜!」って気分になった。コトバやロジックというものをもう一度信じてもいいかなって気にさせる一冊だった。
この時期にこういう内容の本を出すというのは、実に勇気がいることだ。しかし、彼らは飄々と火中の栗を拾いに行った。カッコいいなあ、これこそが「Rock」だ。閉塞した社会に対して、正面から突破をはかろうとする彼らの姿勢に拍手を送りたい。
憲法を変えるべきだと思っている人も、守りたいと思っている人も、今まで日本国憲法なんかに興味がなかった人も、ぜひこの本を読んでみるべきだ。というか、こんな面白い本、読まないともったいないよ。
