油と埃にまみれた京浜工業地帯で育ったから、歳をとったらどこか自然の多い土地で暮らしたいと考えていた。関東近郊をいろいろとドライブしてまわり、千葉や丹沢、奥多摩なども歩いてみて、埼玉の西南部、奥武蔵と呼ばれるあたりの風景に魅了された。秩父の手前で、日高市や飯能市のあたり。自然が多いのに街並みが整備されていて開放的、すっかり気に入って、この10年くらいは週末になると奥武蔵の川沿いへ遊びに行くようになった。
高麗川や飯能の名栗川あたりは都会からも近いのに、渓流や自然公園がすばらしく、街並みも美しい。来年には宮沢湖にムーミンのテーマパークが出来るらしいけど、確かにちょっと北欧風の街並みを感じさせる風景だ。近くの河原で焚き火をしてコーヒーをいれたり、低山ハイキングを楽しんだりしているうち、このあたりに住めたらいいなあと思い始めた。
だから、吉祥寺から引っ越そうと思ったとき、最初はそのあたりを探したのだけど、なかなかこちらの条件や希望に合う物件が見つからなかった。SOHOなので、ある程度の広さがあってネコが飼えるところが条件なのに、ペット可と書いてあっても問い合わせてみると「室内犬のみ」みたいな物件が多い。
一時は良さそうな新築マンションが建つというので予約をしていたのだが、モデルルームを見たら内装の趣味があまりに合わないので、残念ながらキャンセル。中古住宅を購入して直しながら住むことも考えたのだけど、持ち家になってしまうと気に入らないからすぐにまた引っ越すという訳にもいかなくなってしまう。
都会にしか住んだことがないので、病院や日々の買い物、食事なども勝手が違うだろうし、今の仕事をそのまま続けられないと負荷が大きくなってしまう。年金をもらうまではまだ10年ちかくあるから、とりあえずもう少し都心に出やすそうなところで探す方がいいのではないかと考え直した。奥武蔵に住むのは年金をもらうようになってからでも遅くない。
奥さんの通勤も考えて八王子の周辺や秋川、所沢などをいろいろと物色していたところ、ネットで富士見市にネコが飼える新築のへーベルメゾンを見つけた。富士見市というのは川越のちょっと手前で、所沢と大宮のちょうど中間地点になる。奥武蔵へ遊びに行く途中でよく通り過ぎていたあたりだ。荒川と「ららぽーと富士見」があるほかは畑と田んぼばかりの何もない土地だけど、川越街道沿いの古い街並みや、昭和を感じさせるような商店街と、ベッドタウンとしての再開発も進行中で、暮らしやすそうな街だと思った。
埼玉の富士見市は、すぐ隣にふじみ野市があり、さらにその隣の川越市にも富士見町があるという複雑怪奇なことになっている。どうやら富士見市、ふじみ野市、そして三芳町が平成の大合併でひとつの市になる予定だったのに、住民の反対などで決裂した結果ということらしい。合併話はまだ残っているようなので、将来はひとつにまとまるかもしれない。朝霞に住んでいる友人に聞くと、この辺の荒川土手から見える富士山は、それは見事なものだという。
川越街道はとても雰囲気のある古い街道で、クルマで通るときにいい印象をもっていた。並行している川越「いも街道」には古民家が保存されていて、道沿いのけやき並木が美しい。ちょっとした観光スポットになっており、感じのいいレストランがいくつかあるので、何度か訪ねたことがあった。
何もない街だけど、東武東上線の鶴瀬駅から周囲を歩いてみると、子供連れの家族をたくさん目にする。土地や家賃が安いので、市の人口分布などをみても実際に若い家族が多いようだ。子供が多い街は雰囲気が明るい。再開発途中の駅前にはまだ昭和時代の商店街ビルが残っていて、昔ながらの魚屋や豆腐屋が意外と賑わっている。そのうえ桜並木の道を超巨大なショッピングセンター「ららぽーと」まで歩けば買い物や食事にはまったく困らない。
周囲にスーパーマーケットが多いのもありがたい。埼玉南部はスーパーの激戦地で、東武ストア、エコス、ビッグA、ベルクなどがしのぎを削っていて、俺の好きなヤオコーも徒歩圏内に3件ある。
スーパーは現代の市場(いちば)なので、いろいろな場所へ出かけたときには必ずその街のスーパーを覗くようにしている。中でもヤオコーはいちばんのお気に入りだ。野菜や魚の品揃えがよくて買い物がしやすいし、お総菜や弁当やパンはどれも安くてすごくおいしい。吉祥寺の西友やマルエツなんか足元にも及ばないと思う。もし引っ越すならヤオコーの近くがいいと思っていたけど、それがかなうのは嬉しい。これで食生活が一気に充実する。
それに、親が病院から離れた場所に暮らして苦労したから、CTの撮れるレベルの病院が徒歩圏内に2件以上あること、という自分ルールを考えていたのだけど、このあたりなら大丈夫そうだ。評判のいい動物病院もあるという。吉祥寺では立野町のヒラミ動物病院にずっとお世話になっていた。なかなか信頼できるいい動物病院は少ないので、評判のいいところが近くにあるのはありがたい。
富士見市への引越を考えてから、土地の歴史や今後の都市開発計画、災害歴なども一通り調べてみた。いまはネットで数年分の市報や市議会だよりが見られるし、地形図や地盤評価のハザードマップなども公開されているので、そのあたりは便利なものだ。さらにまちBBSで近年のネガティブな噂話にも一応目を通したけど、まあ問題はなさそう。
メゾンの周囲は、特にすばらしい環境というわけじゃなく、住宅と畑に囲まれた面白みのない場所だ。でもこのあたりは古い街道沿いなので、少し歩けば湧き水の出る自然公園や古い神社などがたくさんあり、緑も多いから環境的にはそれほど悪くない。近くの駅から東上線に乗れば東京駅まで1時間かからないし、クルマで移動するならすぐに大宮や所沢へ出られる。さらに関越道の三芳PAではETCのスマートICが整備中だから、数年後に外環道が東名まで繋がれば吉祥寺や横浜方面へもかなり出やすくなる。道が混んでいなければ吉祥寺までだって40分以内で着くんじゃないだろうか。
富士見市はいままで縁もゆかりもない場所で、派手な魅力はないけれど、家賃、通勤、買い物、病院などの利便性は申し分ない。生活コストを下げるという当初の目的はかなえられそうだ。とりあえずしばらくここに暮らしてみて、どうしても肌が合わなければまた考えよう。
今まで東京の賑やかなところでしか暮らしたことがないから、都心を離れた生活がどんな感じなのかちょっと想像つかない。でもまあ、どうせ日中はほとんど家の中でMacに向かって仕事しているわけだから、ネットさえちゃんと繋がれば問題はないだろう。たぶん、実際に暮らしたらだんだんこの街を好きになりそうな気がした。あとは自転車でも買って、周囲をすこしまわってみようかな。