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さらば吉祥寺

吉祥寺から埼玉へ引越しすることにした。平成元年から約30年をこの街で過ごしたことになる。いろいろな思い出があるし、とても好きな街だったので離れてしまうのは残念だけど、このあたりで生活を切り替えようと思ったのだ。

去年あたりから仕事がぐっと減ってしまい、入ってくるのはお金にならないような話ばかりになった。俺も今年で57歳になるので、フリーランスとしての収入は、これからさらに厳しくなっていくだろう。WEBやIT系の仕事も、新しいことを覚えるのがどんどんキツくなってくる。

そろそろ老後や終活のことを踏まえて残りの人生をどう生きるか考えたとき、生活をもっとミニマムにしていく必要があるというのは、何年も前から感じていたことだ。

吉祥寺は便利で快適だけど、やはり生活コストが高い。若くてバリバリ仕事をしていた頃は人脈や地の利も含めてここにいることが大きなメリットだったし、デザイナーという仕事は売上げに対してかけられる経費に限度があり、利益率が高くなってしまうから、吉祥寺のような人気のある街を住居兼仕事場にするというのは税金対策としてもすごく有効だったのだ。

なので、ここ15年くらい自分には分不相応じゃないかと思うような家に住み、そこを仕事場にしていた。テラスハウス式の貸家で、JR吉祥寺の駅から徒歩10分以内の静かな住宅地にある庭付き2階建て。入居したときはまだ築3年の新築物件だ。収納のたっぷりある広々した2LDKでエアコンは各部屋に合計3台あり、ネコの飼育も楽器の演奏も可という素晴らしい環境だった。家の横には樹齢数百年のケヤキや白樫が生えていて、秋になると庭にたくさんドングリが降ってきた。家の前の駐車場にはメルセデスやBMW、アウディなどが並び、俺のアルファロメオもその仲間入りをした。

そんな快適な環境で15年も過ごしていると、だんだんこの暮らしがあたりまえになっていく。そうなると、いちど上がった生活レベルを下げることに、とても大きな恐怖を感じるようになってくる。自分は不安定なフリーランスという働き方しかできないので、かなうならば「もともと蒲田の貧困な町工場で育ったわけだし、いつでももっと簡素な生活に戻れる」という気持ちをもっていたい。

幸いなことにまだ今の生活が苦しいというほどではないけれど、蓄えだってそれほどないし、還暦を迎えようというフリーのWEBデザイナーの収入なんて、この先どんどん下がって行くに決まっているから、身体が元気で動きのとれる今のうちに生活経費の安い場所へ越そうと思ったわけだ。

それに、30年も住んだ吉祥寺だけど、最近は昔に比べるとなかなか暮らしにくくなってしまったと感じることも多い。地元の人が買い物をするような個人商店や食堂はみんな店をたたんでしまい、よそから来る人たちのためのお店ばかりが出来ては消えていく。サンロードはチェーン店ばかりで、バウスシアターもなくなってしまった。地元の人のための安くて美味しいといった個人経営の店は、もう吉祥寺ではやっていけないのだろう。

近所の店で話を聞いても、吉祥寺の店舗の家賃は高すぎて、とても普通にやっていたら採算がとれないという。暮らしたい街というより、どんどん「遊びに来るための街」になっていくのは仕方ないのだろうな。

それでも、人生の半分以上をこの街で過ごし、いろいろな人との出会いもあったので、若いときにここを選んだのはとてもよかったと思う。楽しい時を過ごさせてもらった。どうもありがとう。そして、さようなら吉祥寺。またちょくちょく来るよ。あまり未練はないけれど、庭へ遊びに来てくれていたノラネコたちと会えなくなってしまうのは、ちょっと寂しいな。